新居関所について -詳細-

更新日:2022年01月13日

新居関跡

新居関跡〔国指定特別史跡〕

新居関所(今切関所)は慶長5年(1600)徳川家康により創設されました。幕府は江戸を守るため全国に53ヶ所の関所を設け、「入鉄砲と出女」に対し厳しく取り締まりをしました。特に新居関所は約100年間、幕府直轄として最高の警備体制が敷かれていました。鉄砲など武器の通行ではもちろんのこと、当関所に限っては江戸へ向かう女性(「入り女」)にも「手形」が必要で、不備が見つかれば通ることはできませんでした。当関所は江戸時代中期に、自然災害で2度の移転を強いられました。現在に残る建物(「面番所」)は、嘉永7年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政5年(1858)までに再建されたものです。明治2年(1869)に関所は廃止されましたが、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価され、大正10年(1921)国の「史蹟」に、昭和30年(1955)には改めて国から「特別史跡」に指定されました。

 現在、当市では新居関跡の復元整備事業を進めています。これまでに今切渡船場の石垣・護岸のほか、関所の入口となる枡形広場の土塁柵、高札場および大御門、女改之長屋を復元しました。今後も船会所、土蔵などの復元整備を計画しています。併設の関所史料館では関所ゆかりの資料や街道・交通史関係資料などを常設展示するほか、企画展示を年6~7回、イベントも開催しています。

女改之長屋

女改之長屋(おんなあらためのながや)

関所を通過する女性を改める「改女(あらためおんな)」とその家族の住居です。新居関所では2家族が居住しており、交代制で関所に勤務していました。

発掘調査や文献史料などの調査結果から、こけらぶき屋根や土壁造りの建物であったことが分かり、伝統的な建築技法により復元しました。長屋は、改女の説明や復元の経緯を紹介した展示スペースと座学室になっています。

面番所画像

面番所

面番所(めんばんしょ)

関所改めを行った中心となる建物で、嘉永7年(1854)の地震の後に建て替えられました。

建物背後には書院のほか関所役人の休憩所となった勝手や台所などがありました。

渡船場護岸画像

渡船場護岸

渡船場護岸(とせんばごがん)

江戸時代、新居と対岸の舞坂を結ぶ今切渡船の渡船場。渡船場は長さが74mありましたが、現在は国道より南側は住宅地となっています。

護岸には波除けのための杭が打ち込まれていました。

枡形・高札場画像

桝形・高札場

桝形(ますがた)・高札場(こうさつば)

大御門の西側は、笠木土台付き柵で囲われた桝形(広場)になっていました。

現在は国道によって分断されていますが、当時は南側まで桝形が広がっていました。

桝形の一角には宿高札場と浦高札場がありました。

大御門画像

大御門

大御門(おおごもん)

大御門は高さ5.8m、幅4.6mの高麗門で、地表より2.7m下に礎石を据えた掘立て柱の門でした。大御門は明け六つ(午前6時)に開き、暮れ六つ(午後6時)に閉まりました。

裏御門画像

裏御門

裏御門(うらごもん)

幅3.6mの片引き戸の門で、関所役人の通用門として使われました。

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3画面に関所構内が表示され、VRで歴史体験ができます。

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